自由世界の独裁者

掌は返すもの

持つものの言葉は持たざるものに届かないって話

ネットの進化とともに増加する”繊細チンピラ”とは? - トゥギャッチ

 

リアルでこういった人たちを見ていると、精神的向上心の無さに辟易する。
最近のインターネットでは、モテない人の方がメジャーな感じらしい。リア充爆発しろとかね。
別にそれ自体はどうでもいいんだけど、僻む姿ってみっともないと思わないのかな。
悪い言い方をすれば、「そんなんだから彼女・彼氏ができないんだよ」とも言いたくなる。
こういったことをいうと怒る人ばっかりだけどね。
彼氏・彼女持ちの人間は、それなりに努力をしてその状況にいる。
僻む恋人のいない人たちは努力をしていない自分を省みることなく、自身の不幸さを嘆き、恋人がいる人間を憎悪する。
(努力している人も多いはずだが、そもそも努力している人はそんなみっともないことをしないと思われる。)

何を妬んでいるのか?

彼らとは対話が出来ない事が多い。
そういった人に「恋人が欲しいのか」と言うと、ノーと答える人が多い。
恋人が欲しくないなら関係のない話ではないのか? 全く意味が分からない。
イエスと答える人に対して「こうしたら?」とか意見を言えば、「ただイケ」みたいに聞く耳を持ってもらえない。
そもそもアドバイスなんか欲しくない人もいるだろうけど。
素直に聞いてくれる人なんてまずいない。それがお世辞にもイケメンや美女が言った言葉ではなくともだ。
こういった人たちは、「彼氏・彼女が欲しい」のではなく、「幸せそうな奴が憎い」という原理で妬んでいるように見えるが、どうなんだろう。
 

今では「非リア」が一つのステータスになってしまっている。

SNSの普及も関係しているのかもしれないが、いわゆる「傷の舐め合い」みたいな関係の範囲が大きくなっているように感じる。
人間集団になると気が大きくなって、心無い言葉を言ったりするものだ。
「不幸な自分」を演出して、「自分より恵まれた環境にいる人間」をこき下ろす。
このコミュニティが恐ろしいのは、脱する事が出来ない点だ。
何せ「リア充」要素を手に入れてしまったら、今度は自分が攻撃される側になってしまうのだから。これでは泥沼である。
 

ぬるま湯に浸かっていては成長しません

自分と同じような境遇だったり、同じ価値観を持つもの同士で慣れ合うのは居心地がいいのかもしれない。
しかし、その中で愚痴を言って盛り上がっているだけでは何の進歩もない。
非リアから脱したいなら、リア充の環境に身をおくべきなのではないか。

つながり進化論―ネット世代はなぜリア充を求めるのか (中公新書)

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  • 作者: 小川克彦
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2011/03
  • メディア: 単行本