自由世界の独裁者

掌は返すもの

読書メモを続けるために妥協する

最近は続いているが、僕は今まで読書メモを作ろうとして何度も挫折してきた。
どうして続かなかったのか理由を考察してみたところ、大きな理由が3つ存在した。

読書メモが続かなかった3つの理由

書くことのコスト

これはデジタル・アナログの両方にかかるものだが、デジタルの方が圧倒的に手軽だろう。
書き始めに本の情報を書くだろう。これが手書きなら書名、著者名、出版社名などを書くだけで数分とられることも少なくない。デジタルで自動化すれば、ここでのコストは圧倒的に削減できる。
書く際のコストは書くこと自体が面倒ということだ。アナログでもデジタルでも少しはかかってしまうが、僕はデジタルの方がより手間が少ないと感じるのでデジタルにしている。手書きだと書き直しの手間(誤字)などが大きい。

書いたものを整理するコスト

書いたものを整理しようとすると、継続するにつれて整理するコストがどんどんと増えていく。ノートであれば、索引を作らないと過去に読んだ本を見つけ出すことすら難しい。カードもちょうどいい容器に仕切って入れるようにしていかないと、ただの紙の山と化す。
参照できない資料に価値はない。
アナログであればこの整理コストを避けることが出来ないが、デジタルなら検索によって見つけ出すことができる。検索があるから整理する必要が無い。evernoteを使う最大のメリットはここだろう。
人によってはevernoteの中すら綺麗に整理しているかもしれないが、僕はそんなに整理していない。検索があるし。

一度決めたルールを守りきれない

中途半端に几帳面な人が陥るのが、最初にルールをしっかり決めてしまって、守ることが苦痛になるというものではないだろうか。
引用はこの記号を使って、図表を書き写して、ページの番号順に抜き書きして・・・ルールを決める時はノリノリで作ってしまう。
しかし、後から守ることが面倒になる。もしくはルールを忘れたり間違えたりして、直すのも面倒になる。
ルール通りに出来なくて、結局メモすることをやめてしまうパターン。あるある。

形式にこだわり過ぎない

僕にとってはこの3つ目の理由が大きな壁だった。
いかにしてこの壁を乗り越えるに至ったかというと、諦めだ。形式を決めないか、守ることを頑張らないようにしないといけない。ちょっとくらい違う形で書いても気にしないことだ。
デジタルで記録を取る利点は、修正が容易なことだ。細かいことは気にせず、後で直したいと思ったら直せばいいと考える。
自分で見返すのなら、一定のルールに沿ってやることに大きな意味はない。後で参照する際の見やすさが上がるくらいだ。
それよりも方法にこだわりを持たず、「この方法いいかも」と思ったものに変更してみたり、使っていくうちに自然に行きつく記号の使い方に任せてみるのもいいんじゃないか。
 

何のために読書メモを取るのか?

読書をする目的とは何だろうか。
娯楽、自己啓発、研究などなど、人によって、また本によってその理由は様々に変わる。
読書の目的とはそこに書かれている情報や世界を消化して、自分の中に取り入れることだろう。
読書メモを取るという行為は、その手段の一つにすぎない。
読書メモが目的の読書なのではなく、その本から何かを得るために使う手段だと考えればそんなに形式にこだわることもなく続けられるんじゃないだろうか。 

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

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