自由世界の独裁者

掌は返すもの

老害に歩み寄らないと死ぬ

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先日飲み屋で隣になった人と話した内容をちょっと書き出しておきたい
その人と僕とでは20歳くらいの年齢差がある。世代間ギャップ的な話で盛り上がったので、少し考察をまとめておく。
最近の若い子は勉強熱心で営業車の中でも英語の教材を聞いていて凄い。だけど、自己研鑚ばかりしていて周りとの協調性に欠けるといった感じの話だった。

周りでよく見るのは・・・

20代で意識高い系に感化された人間がスキルアップなどに積極的でない職場にいても、周りは評価してくれないし、本人も認められないことに苦しむ。
50代で周りとの協調性を重んじて仕事をしてきた人間が、若い世代がコミュニケーションを取ることよりも自分のスキルアップのために時間を取りたいからとランチも一緒にできず、相手のことがよく分からず適切な仕事を振れなかったり、適切な評価が出来なくなる。
どちらも良いこととは言えないだろう。
僕は自分の中で思考基盤の違いと呼んでいるんだけれど、こういった「考えの違いによるすれ違い」というのは至る所で見られる。職場じゃなくてもだ。
世代ごとにある程度共通した認識があり、そのギャップで苦しんでいる人が少なくない。これは僕も隣になった人もそうだ。
こういった場合、特に若い世代の人は「分かってくれない」と嘆くことなく、自ら歩み寄る努力をすべきだ。
時代・世代ごとに考え方の違いの傾向はあるし、そもそも個人個人でも違いが大きいものだ。その違いの受容を相手にばかり求めるのはおかしい。
コミュニケーションは歩み寄りが大事である。天は自ら助くる者を助く。一般的に言って、自ら歩み寄る気のない者が理解されるなんてことないのだ。

 

若い世代の方が自分から歩み寄るべき3つの理由

①自己研鑚自体は評価対象ではないこと

自己研鑚は大いに結構だとは思う。しかし基本的にその努力が「現在の仕事」で結果を出していなければ、評価対象にはならない。これは仕事をするうえでは当然のことだ。まずここを履き違えてはいけない。

②評価するのは基本的に年上の人間だということ

そして自分の評価を下すのは、他人だということ。自分が内心でどう思っていようとも、他人の目に映っている姿が評価される。そしてその評価を下し、決定権を持つのは頭が固く、古臭い考えの年長者なのだ。

③不評を買えば潰されるのは自分だということ

何より若者側から歩み寄るべき理由は、相手の方が権力を持っている場合が大半だからだ。老害の考えに共感できない気持ちは分かるが、その相手が自分の評価を下すし、相手の機嫌を損ねたら簡単に潰される。そのリスクを考えたら、不愉快だろうと自分から歩み寄るべきだろう。
現在の40代、50代、60代くらいまではかなり飲みにケーションに代表されるような、世渡り的な部分を評価する傾向が強い。
そういった人間の多い場所でひたすらに自己研鑚に励む姿を見せていても、良くて「真面目だ」という評価、大体の場合「面白くない奴」という評価を受けるだろう。
この「面白くない」には、彼らが保身を考えて「自分の立場を脅かしかねない奴だ」という敵意が含まれる場合がある。そうなったらいくら自己研鑚していようが潰されかねない。 

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世渡り的なスキルと自己研鑚は相反しない

自己研鑚は大いに結構。しかし、せっかく身につけたスキルも発揮する機会に恵まれなければ、その努力は報われない。
スキルを発揮する機会を得るためにも、職場での会話や、食事を一緒にしたりするコミュニケーションをもっと大事にして欲しい。そういった根回し的なこともしておかなければ、挑戦する機会さえなくなってしまう。
自分の評価をするのは、いつも他人だ。自分の内心で思っていることなど、他人は考慮してくれない。今いる現場で一定の評価を得るためには、そういった付き合いは最低限こなしておくべきだ。