自由世界の独裁者

掌は返すもの

友達を作る努力なんてしてもしょうがない 〜『ひとりぼっちを笑うな』〜

特に内向的な人にとって、群れの中で生きることに悩みは尽きないことでしょう。

『ひとりぼっちを笑うな』は、息苦しい生き方をしないように、ゆるく生きている(ように見える)蛭子さんの考え方に触れられる本です。

孤独との向き合い方、諦観に近い人間関係観といった内容が深く突き刺さりました。

 

差別的な感情っていうのは、多くの場合「誰かを見下したい」という、人間のなかにあるネガティブな欲求と結びついているような気がしてならないんです。誰か自分より下の相手を作ることによって、自分が偉くなったように錯覚するということかもしれない。自分が優位に立つために、他の誰かを貶めるなんて、本当に愚かな行為だと思う。

この言葉を蛭子さんが言っていることが凄くいいと思います。

普段TVに出演されたりするときは、主に芸人さんからイジられているイメージがあります。往々にしてイジりというよりも、イジメに近い内容の発言をされているように感じています。貶められている側の蛭子さんは、そういった行為を愚かだとしている。それを許容しているのは素直にすごい。

差別的な感情というと大きく見えますが、日常生活の中でも多く見られるレッテル貼りも同様ですよね。自分の周囲を見ても、他人の批判ばかりしている人が非常に多い。

自分を大きく見せようと他人を攻撃しない。これは非常に重要なことだと思います。

そういう「安心感」を求めるための「友だち」作りなんてやってもしょうがないですよ。「友だち」なんて、結局いつかはささいなことで離れるもの。「友だち」を作る努力をするくらいなら、「家族」を作る努力をしたほうがいい。

友だちはいい存在でもある一方で、ときには、自由を妨げる存在になるからです。

たとえ親友だったとしても、いつまでも親友とは限らないんですよ。親友だからといって、必ずしも常に腹を割って話せるわけではない。

本当の意味で孤独を打ち破ることができるのは、自分自身の力だけなんだ

タイトルに直結するキーワードなので、「友だち」と「家族」に関する話題は多く出てきます。

蛭子さんの友だちに対する考え方は見方によっては非常にドライに見えるでしょうが 、非常に現実的というかある種の諦観を含んだもに思えます。

友だちなんて結局いつかは些細なことで離れるもの、受けが悪そうなことも言ってしまう。蛭子さん自身が色々な出会いと別れを繰り返した中でたどり着いた結論なんでしょう。

いま大事な友人だからといって、10年後も同じ関係でいられるとは限りません。人生は生きるごとに要素が増えていき、同じような境遇の人間も数年もあれば道を違えます。

僕自身は友だちが完全に不要とまでは考えていません。気の合う友人はいいものです。でも、蛭子さんの言うように、孤独を紛らすための友人を作る必要性は全く感じませんね。

生きている者が、自分の幸せを求めてなにが悪いのか。

抜き出すと端的な言葉になってしまいますが、前妻を亡くされてから現在の奥さんと結婚するに至った過程の部分で発言されております。

東日本大震災で自粛ブームが起きたことは記憶に新しいですが、「誰かに不幸があったこと」と「自分が幸福になること」には全く関係がないと思うんですよね。

身近な人にしろ全く知らない人にしろ、誰かに良くないことが起きたとき「自粛」というのは違うだろうと。「今はそんな気分になれない」という自発的なものなら本人の気持ちの問題ですが、外野が「そんなことけしからん」といって止めさせる社会は間違っていると思います。

自分の幸福を追い求めて何が悪いのか。本当にこの言葉に尽きます。身勝手などではなく、遺された者が限りある人生を生きていくのに幸福を捨てることが、亡くなった者への愛情表現だなんて相当歪んでいるとは思いませんか?

できることといったら、忘れないこと。そして自分が精一杯生きること。それだけです。

いまいる状態を自分がイヤだと思うなら、まずは自分のほうから動かないといけない。自分は自分で他人は他人だから、ひたすら沈黙を続けても状況を変えることはできないのですからね。

攻殻機動隊にも似た言葉が出てきます。よく漫画の名言として引用されているので目にしたことがある人も多いでしょう。

変化を望むなら、自ら行動しないといけない。当然のことなんですけど、動かずに口で文句を言っているだけの人間にはなりたくないものです。

ふだん僕が見ている蛭子さんの姿とはまた違った姿が見えて非常に面白かったです。

年を重ねられているからなのか、楽観とも諦観とも取れるような姿勢が垣間見えます。

孤独を嫌なものだと感じている人、友だち付き合いに疲れた人にはぜひ読んでほしい一冊です。